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Dépôt de Météorites

水底を映し出す鏡

トート・タロットに魅了されている。
タロットカードはずいぶん昔、若い頃に一度興味を持って、二つほどデッキを買った。一つはメジャーなライダー版に準ずるもの、もう一つがトート版だった。当時は、トートの図柄がなんとなく強烈すぎる気がして、自分のなかの暗闇まであからさまに白日の下に曝すような残酷さを感じて、苦手意識を持った記憶がある。買ってみたものの、トート版は殆ど使わなかった。

自分の念が強すぎたのか、こうあってほしいということ以外を許せなかった狭量さからか、タロットは私の手の中で暴れるように、私の願いをあざ笑うように、期待を裏切って見せた。すっかり信じられなくなり、タロットなんて当たらないと思い込み、背を向けてしまった。単に深層意識を見せているだけで、タロットが私を裏切ったわけではなかったのに、未熟さがそう思わせた。

仕舞い込んであったデッキを二十年振りに引っ張り出して、しみじみと見てみると、あの頃には恐ろしいくらいに感じたトート版が、なんとも神秘的で、耽美なものに感じられ、魅了された。
ある種の残酷さや、おどろおどろしい感覚は確かに感じるけれど、それが逆に心地よく、媚薬のように酔わせてくれる。この感覚の変化は自分でも不思議。

ライダー版は絵柄も具体的で、質問に対しても具体的に答えてくれる感じ。その分深みを感じない。トートは心の水底を映し出す感覚。答え方もヴェールに包まれ、どこか観念的。肌が合い、解釈もしやすい気がする。
不思議なのは、ライダー版だとスプレッド結果をメモしておかないと忘れてしまうのに、トート版だとなぜか完全に覚えていること。それだけ絵のインパクトが強く、右脳に刻みつけられるみたい。ライダーの場合、描かれた象形の意味することや色の意味することを、どちらかといえば左脳的に把握するのに対し、トートは、それぞれのカードが一つの絵画として完成されていて、図柄の意味を考えるより前に、右脳に直接飛び込んでくる感じがする。

内側の潜在意識にあるものが、まざまざと映し出されるのには改めて驚いている。表の顕在意識を納得させるためのヒントがたくさん得られる。表と裏の意識がだんだんと擦り合わされて、同調していくような感覚がある。二つの振り子が自然に同調していくように。

タロットは占いではなく、未来を予知するものなのではなく、どこまでも自分を知る鏡なのだということが、良くわかってきた気がしている。
表の意識は狭い視野しか持たず、常に周辺からの情報を入力され続けて、疲弊している。顕在意識はたった3%で、残りは全部潜在意識が司っているというけれど、97%の言うことに耳を傾けてやらないと、訴える声を益々強め、暴走して手に負えなくなる。

大抵の二者択一は、表の意識と裏の意識の対立で、自己を分断するもの。私の苦しみの大部分は、そこから来ていたと思える。
3%のリーダーは、自分たちのエゴで物事を進めちゃいけない。全員の声をきちんと聞かなくては。虐げられてきた声を聞き、慰労して、ありったけの愛を注ぐ。

過去の私、タロットの逆位置のようなエネルギーを発して生きていたかもしれない。正位置のエネルギーをいつも意識する。シンプルに単純に。真っ直ぐな情熱を持って。
逆位置は本当の私じゃなくて、外的にも内的にも様々な余分なものに妨害されて、そうなっていただけのこと。