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お大事に

アトピー性皮膚炎が再発してしまった知人に会った時のことを、ふと思い出した。
普段はほとんど完治してきれいな肌を取り戻していたけれど、最近過労が祟ったらしいと話していた。いつもばっちりとメイクしていたのにその日はノーメイクで、腕も露出できないらしく、オーガニックコットンのアームカバーをつけていた。そのせいか、生き生きとした印象がすっかり影を潜め、遠い靄の向こうにいるかのように見えた。

私は幸いなことにそのような皮膚トラブルとは無縁で生きてきて、彼女がどれだけ大変でどれだけ辛いのか、分かったつもりになっても本当には分かるはずがなかった。大変なんだなぁ、くらいの印象しか持てなかった。

当たり障りのない会話をして、私の方からはその問題に触れないようにした。別れ際、全く何も触れないのも失礼かという気持ちが過り、一言だけ「お大事にね」と言った。なるべくライトに、深刻にならないトーンで言ったほうが良いだろうか。瞬時にあれこれと計算を巡らし、おっかなびっくり発した一言だった。彼女は笑顔だったけれど、何か曇った感情が棚引いていたのを感じた。

病院や薬局で、機械的に投げかけられる「お大事にどうぞ」という言葉と同じような、心の籠もらない社交辞令のように聞こえたのだろうか。実際、私の発した一言は、心の籠もらない社交辞令そのものだったのではないか。嵐のような内省が始まった。

私の方も心の問題を抱えていて、外出するだけで苦しく、ひどく辛いという状態で、自分を守ろうとすることで精一杯だった。些細な刺激で大きく揺れ動く「面倒くさい」心を、なんとか刺激しないように、バリアを張ることに必死で、相手を思いやる余裕を持てなかったことに自責の念を抱いた。

軽々しくではなく、もっと心を込めて「お大事に」と伝えるほうが良かったのか。そう言ったらなら、彼女の苦労をよく理解できてもいないのに、いい人振るようで、どこか狡い気もする。
最後まで、敢えて何も言わなかったほうが良かったのか。それも腫れ物に触るのを避けて逃げているようで、狡い気がする。

どう反応しても結局、狡いんだ。自分がどう思われるか、どう対応するのが正しいのかということを気にしている以上。その作為的な心のはたらきが、美しくない。
他人の心の中はわからないのに、相手がそう思ったに違いないと勝手に決めつけてしまうのは、なんて傲慢で愚かなこと。

何も考えず、感じたままを口にすれば、必ず他人の気に障る失言をしてしまうと、いつの間にか思い込んでいた。慎重に言葉を選び、配慮に配慮を重ねて言葉を発しなければいけない。そう思えば思うほど自分を追い詰め、人と会話すること自体が苦痛でしかなくなる。

私の発言で誰かが気を悪くするなら、それはその人の抱えている心の問題に触れてしまったから。その人がその問題を抱えているのは、私には関わりのないことだし、私に責任があるわけではない。そう言うと冷たいようだけれど、個人の抱えたものはその人自身が処理し、解決するしかない、その人だけの「宝」なんだろう。

その関係の中で、どんな私でいれば心地よいのか。それだけを考えて、それだけに責任を持てばいい。