またジャッジしてるな どちらが正しくてどちらが間違っていると
どちらに価値があって どちらには価値が足りないと
だから人と比べて自分が劣っているように感じてしまうんだ
劣っていても優っていてもどちらでも良いんだよ
その両方で私は完成されているのだから
素敵なあの人を見るとなぜだか不安定になる
嫉妬してしまうあの人だって 私の目に映る以上それは私自身
素敵だって思っていたのは 私がそう感じ そう思い込んだからで
絶対的な事実なんてどこにもない この広い世界のなか 在るのは私の判断だけ
うまく書こうとしてはだめだ 賢くあろうとしてはだめ
素敵になろうとしてはだめ お洒落になろうとしてはだめ
自分を高めようとしてはだめ 成功しようとしてはだめ
正しくあろうとしてはだめ 善良であろうとしてはだめ
片側を目指していてはだめなんだ それがすべての苦しみの元なのだから
これはジャッジではなく 傾きを中和するということ
頑張って素敵になろうとしている人を見たら 劣等感を感じるよりも
あの人はまだこの社会の基準に縛られて 価値観を譲り渡しているのだな
古い生き方をしているのだなと思えばいい
これも一時的な中和剤
速く走る競争があるなら 誰よりも遅く歩む競争もあって良いのでは
なぜ地球には片側しかないのだろう