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記憶という幻影

殺人者の記憶法 新しい記憶』 ソル・ギョング主演、2017年の韓国映画を観た。
一筋縄ではいかない、センセーショナルな内容。「殺人者の記憶法」と「殺人者の記憶法 新しい記憶」という編集違いの二種類の作品があり、前者は一般向け、後者はコアな映画好き向けといった感じ。私はたまたま後者を見たのだけど、こちらを観て良かったと思う。キム・ナムギルが出てるからというミーハー心で観たのに、いい意味で裏切られた。


記憶を信頼しているから、私達はまともに生活していられる。脳の機能に問題が生じて、自分の記憶が根こそぎ信じられないものに変わってしまったら。記憶が信頼できなくなったことを他者に利用され、全く嘘の記憶を組み立てられ、それが真実とされてしまったら?
意識活動すべての根幹である、記憶というものの信頼性を根底から疑ってみると、自分の足元が脆く崩れ、蟻地獄に吸い込まれていくよう。薄氷の上に生きていることを思い知らされる。無条件に信じ込んでいる自分の記憶が、どこまでが紛れもない事実で、どこまでが自分の作り上げた虚構なのか。その境界は思ったよりも曖昧なもの。
さらに最後に大どんでん返しがある。これは後者の作品だけにあるトラップ。目眩がして小一時間は歩けなくなりそうな、さらなる迷宮に迷い込まされる。この構築力は凄すぎる。


台詞にも一つ一つ含蓄があり、品格のようなものを感じさせる。
詩人は、言葉の海で比喩表現をパッと捕えて、その言葉の息の根を止めるのだって、主人公が殺したくなるほどムカつくという詩の先生が、そんなようなことを言っていた。妙に印象に残った。最もふさわしい比喩表現が見つかったとき、それは言葉に新たな命を吹き込み、輝かせるようなものと単純に思っていたけれど、グサッと言葉の生命を一撃に奪い、血の滴る姿を高らかに掲げているのだと考えると、なるほどそういう捉え方もあるのか、と唸らされた。
この映画全体に漂う、不意に後ろから殴りつけられたような衝撃と戦慄。日常に麻痺して見えなくなっている死角を、やや乱暴に指し示してくれているよう。