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内臓を直視する

哭声/コクソン』  ナ・ホンジン監督作品。
映像文化に於いて、韓国は世界最高峰に位置することは間違いないと確信させられる作品。
でもとにかく血みどろ、目や耳を覆いたくなるような場面の連続で、精神が悲鳴をあげた。二度ほど途中で諦めようとしたけれど、なぜだか思い出し、気になって続きを見てしまった……という、こんな見方をした映画も初めてだった。


自らの内臓を外側にえぐり出して、内部と外部が反転しているさまをただ見せつけられているような感覚。内臓を目の当たりにして、私たちはそれを直視できず気持ちの悪いものと感じてしまうのは何故だろう。たしかに自分の中にあり、人間の思慮を超えたもっと原始的なちからと秩序に支配され、意思とは別の知性で動いている、血みどろの世界を。


悪霊だとか悪魔だとかいうものが存在するかどうか、それが問題なのではない気がした。前近代的な祈祷も、キリスト教的な世界観も、的外れな箇所を治療しているようで、核心に手が届かない、非力なものであることが露呈する。悪霊とは、まるで内臓のようだ。自らの中にあるから、自らの肉体を壊さない限り、打ち勝つことはできない。見慣れてくると、血まみれの体が、耳をつんざく悲鳴が、とても美しいものに見えてくる。戦慄を覚えるほどの美を感じる。戦慄とはどんなものか、美とはどんなものかの定義が打ち砕かれ、粉々になるというのが正しいかも。それがこの映像の持つ圧倒的なちから。


太古の地球ではじめての生命が誕生し、悠久の時の中であらゆる進化を遂げたように、何かを恐れる心、それ自体が核になり、私たちの内臓という海で悪霊は生まれ、育まれる。それが悪霊であり悪魔であることを信じ、つよく忌み嫌うことで、自らの肉体を引き裂いて表出し、さらに世界を覆い尽くすほどに肥大化していく。


國村隼さんが謎の不気味な日本人役で、ものすごいとしか言いようのない演技を披露している。圧倒的な異物感。この方無くしてはこの映画は成り立たなかったでしょう。こんなにすごい俳優さんがいるのに、活躍できる舞台が今の日本には少ない気がして、もったいない気がする。全編を通じて流れる、凝縮されたおどろおどろしい空気、嘔吐寸前の緊迫感。観るのは本当にしんどかった。もう一度観たいとは正直思えないかも。