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真心と嘘とが分裂した人

『よく知りもしないくせに』 2008年のホン・サンス監督作品を観た。

日常のごくありふれたシーン、ごくありふれた会話の積み重ねの中に、よく知るはずの人の全く知らない顔を見つけて愕然とする。他人とは、まるっきり理解不能の、得体の知れないモンスターのようだ。そういう自分も、誰かにとってのモンスターなんだ。

誰もが誰ものことを、よく知らないくせに勝手に理解した気になり、はじめから誤っているその認識を裏切られると、相手が悪いと言って責め立てたりする。誰も人のことを全く理解などしていないのに、どこにも本当の接点がないのに、なぜだか器用に繋がって人間関係はそれなりに円滑に進んだりする。
そんなものだと誰もが受け流している些細な部分を上手に抽出し、焙煎し、美味しい一杯のコーヒーのように供してくれる。ちょっぴり皮肉っぽいユーモアと、ほんわかとした明るいペーソス。

それにしても登場人物のすべてが「他人」であり、自分を重ねて感情移入できる存在が無い。内面を推し量っていこうにも、内面の表現はゼロ。主人公の心情も含め、外側から目に見えるものだけ、手に取れる言葉だけが淡々と配置されている。その行動の意味を考えさせられることになるのだけれど、考えてもさっぱりわからない。わかったつもりになっても、それは完全な誤解かもしれない。まさに「よく知りもしないくせに」。

観客も、登場人物の心を全く理解できないこと、共感できないことで、主人公と全く同じ場に立たされる。日常の人間関係における「苦悩」とまでいかないけれど、なんとも言えない違和感の集合体のようなものをポンと手渡され、その見慣れていながら正体のわからないものを何気なく受け取ってしまい、おろおろと戸惑う。

そして一番わからないのは「自分自身」かもしれない。自分自身も殆ど「他人」なのだ。なぜその時にそんな行動をしてしまったのか、そんな選択をしてしまったのか、自分が一番わからない。わからないものに振り回されて、おろおろと尻拭いをしながら生きていく。それは確かに、誰もの人生のひとつの側面。

何気ない会話劇の中で、独自の切り口で、これだけのことを浮き彫りにしてくるのは凄い才能だなと思った。観始めてすぐは、これは苦手なタイプの映画かも?と思ったけれど、諦めずに観続けて本当によかった。

「彼女は、真心と嘘とが分裂したような人じゃない。これまで真心だけで生きてきたんだ」 自分の妻をそう評する友人に、主人公が言う。「そんな存在は、人間とはいえない」
そして実際に妻は、真心と嘘を器用に分裂させて生きている人であることを、主人公と観客たちは知ることになるのだけれど、夫は知らずに、自分に都合の良い夢を見続けるのかもしれない。

劣等感と優越感、本音と建前、それらの間を行ったり来たりしながら、ぐるぐると目が回って自分がどこにいるかもわからなくなっているのが、人というもの。人の哀れさと愛らしさ。そこに注がれる、温かい視線を感じた。