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小鳥の骸

家の庭によく小鳥が来ている。雀のような小さな鳥たちが庭木に止まり、よく戯れている。
観察していると、蝶も様々な形態のが飛んでいる。黄色、瑠璃色、真っ白、黒っぽい模様のあるもの、大きさも大小様々。こんな猫の額のような庭でも、小さな自然の営みの一部であることを感じられる。

朝の涼しい時間、雑草を抜いたり、伸びすぎた枝を切ったりしていた。父が元気なときは父の仕事だったものが、そのまま私の仕事として受け継がれることとなった。
ふと、なにか赤っぽいものが地面に落ちているのに気づいた。近づいてみると、小鳥の骸だった。カラスか何かだろうか、他の動物に散らかされ、赤い内臓が剥き出しになり、下半身はちぎれて、か細い足が切れたゴムバンドのようにぐにゃりとしていた。この力無い足がいっときは小鳥の体を支えていたとは、どうにも想像できないくらいだった。

スコップで小さな穴を掘り、ローズマリーの木の根元に遺体を埋めてやった。
可哀想だという気持ちは、不思議とまったく起こらなかった。自然はとても残酷で、畏敬すべきものだという思いだけが、胸に柔らかく沈殿した。

以前にも、なにか農薬のようなものをついばんでしまったのか、食べたものを戻して瀕死の状態の鳩を、玄関先に見つけたことがあった。その鳩はまだ息があったので、しばらく為すすべもなく様子を見ていたら、いつの間にかいなくなっていた。

落ち葉を集め、抜いた雑草を袋詰めにする。ゴミとして捨てるのにはいつも違和感を覚える。
コンクリートの割れ目から伸びた雑草が、背丈1メートルを超える程に育っていたりする。なのに彼らは疎まれて、見つかれば即座に抜かれてしまう。
彼らを放っておいたら、地球は彼らで覆い尽くされてしまうのだろうか。

温室で肥料をふんだんにやっても枯れてしまう花もあり、放っておいてもどこまでも繁茂する草もある。生命力が強い方が、命としての価値を低く見積もられるとは、とても不思議で、どこか理不尽なことにも感じる。
人間は果たしてどうなんだろうか。私は生命力がそれほど強いという自信がないから、植物みたいに生きていきたい…なんて、たまに考えたりするんだろうか。