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手を握れなかった

父の亡くなる前、最後に会ったのは、誤嚥性肺炎で緊急入院したM病院だった。それまで半年ほど、特別養護老人ホームに入っていたけれど、コロナ対応のため画面越しにしか会うことはできなかった。ホームから病院を受診すると連絡があったけれど、私自身も診察の予約があり、駆けつけたのは昼過ぎになってしまった。

父は呼吸器をつけて苦しそうにはしていたけれど、簡単な会話はできた。母は父の手を握ってやって、頑張ってねと話しかけると、父はくぐもった声ながら「頑張る」と返した。
私はどうしても、父の手を握ってやることができず、母の後ろでぼんやりと立っていることしかできなかった。

それから一旦症状は回復し、急性期の病院から長期療養型の病院に転院することとなり、その手続でソーシャルワーカーさんに何度も呼び出されたり、新しい病院にあちこち見学に行ったり、母に苦労はかけられないと私が勝手に一人で背負い込んでしまい、落ち着いていた鬱状態がまた悪化してきていた。結局精神科に入院しなければならないほど鬱が悪化して、父の葬儀にも出ることができなかった。父は結局、療養型病院に移る直前に、老衰のような形で息を引き取った。
でも今となっては、そのタイミングだったのも、無理するなよ、という父の思いやりのような気もしてきた。

 

父の手に触れることへの不思議な嫌悪感は、ずっと前からあった。ホームに入居する前は、私が髭を剃ってあげたり、紙パンツを替えてあげたりもしたけれど、体に触れることに何故かひどく抵抗感があった。父との間には強い精神的な葛藤があったことは否めないけれど、それだけとは思えない何かがありそうだった。

父は私が生まれてから、赤ちゃんのときにも一度も抱っこをしたことがないそうだ。最近になって母に聞くまで知らなかった。抱いて落としたりしたら大変だから、という理由だそう。同じような理由で、おむつを変えたこともなければお風呂に入れたことも、食事を食べさせたことも全くないらしい。昭和の親父ではこういうのはよくあることなのだろうか? でも母も呆れていたくらいなので、よっぽどのことだったみたいだ。

父と手を繋いで歩いたような記憶もまったくない。父に触られたのは、お尻を叩かれたときくらいだ。それもほとんど自分では記憶にないけれど、幼稚園に行きたくないと頑として動かなかった私を、お尻を叩いて叱りつけたそう。それでも私は全く言うことを聞かず、結局幼稚園をやめることになったのだけれど。
父と接触したのは、その時くらいしか覚えがない。

かと言って放置されていたわけではなく、ある意味全く逆で、何をどのくらい勉強するか、どんな本を読ませるか、そんなことまで全て計画されて、一日のスケジュール表を書かされてその通りに行動させられた。これは父のコンプレックスの裏返しで、学業成績で他人を見返してやりたいという欲の表れでしかなかったことは、今ではよく分かる。
私はそのための道具であり、作品だった。とは言え、愛されていなかったとは思わない。私の体に触れられなかったのも、父自身が自分に自信がないからだったんだろう。失敗すること、責任を負うことを過度に恐れたからなんだろう。
自分に自信がないから、何かあればすぐに責任者を槍玉に挙げる。誰が悪いかを明確にし、自分は悪くなかったと信じ、安心したいから。

父に対し腹を立てたポイントは、みんなただの「可哀想」なポイントだった。
それを理解できる年齢にもなって、頭では納得していても、いざ病院のベッドに横たわる、やつれ切った父の手に触れるのに、戦慄にも似た、身の毛がよだつような嫌悪感が走る。これは紛れもない事実だった。母の手を握るのにはなんの違和感もないのに、父に対してだけ感じる感覚だ。

 

基本的に、他人に不用意に触れられることに対する嫌悪感が、私にはあるみたいだ。先日も、親戚と話しているときに、私が何か失言をしたのか、腕をビシッと叩かれたことがあった。私にはなぜそれが失言なのか、考えてみてもよくわからない。
逆に、その親戚が何気なく発言したことで、私はとても不愉快な思いをしたことがある。それは単に気に障るポイントが互いに全くずれているだけのことで、よくあることだし、腕を叩いたのは親しみの表現のつもりだったのだろうけど、私には突然叩かれたこと自体がとても不快で、いつまでも気に掛かり、苦い気分が寝た子を起こすように何度も蘇った。
自閉症傾向の人は、他人と肌が触れ合うことに抵抗感がある場合が多いらしく、私はやっぱりグレーゾーンなのかもしれないと思ったりする。

でも、鬱で入院した際に、看護師さんが隣に腰掛けて話を聞いてくれ、「全て投げ出して消えてしまいたかった」と話すと、私の膝に触れながら「よくここに来てくれました、ほんとに良かったです」と、心を込めて返してくれた。その時は、服の上からだったからかもしれないけれど、膝に触れられても全く不快でなく、むしろ嬉しかった。当たり前の人の心が私にもあったのかなと思えて、そのこともなんだか嬉しかった。

 

心が、相手に対し無防備になっていいと感じ取る時、嫌悪感は消えるのかもしれない。何か目に見えない電磁気のようなものが肌の上に流れていて、それを検知しているような気がする。

不思議と、父の手を握れなかったことに後悔は感じていない。もっと優しくしてやればよかった等の後悔も同じ。自分が充分だったとは思わないけれど、その時々にできることはしてきた、葛藤に嫌というほど正面切って向かい合ってきたという「やり切った感」がどこかにあるのかもしれない。