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トレードオフ

父は克己という言葉が大好きで、自分に厳しく、一度決めたことは曲げずに続けることを良しとしていた。良しとする程度ではなく、それに執着し依存していた。
自分を律し、怠けようとする心と戦って勝ち、何が何でも始めたことは投げ出さない──そこだけを切り取ると美談でしかないけれど、自分がいかに優れた克己心を持つかを度々吹聴して自慢しないではいられないさまを見て、幼心に何か解せないものを感じていたし、たとえどんなに凄いことなのだとしても、そんな父の態度を好きにはなれなかった。

よくよく考えてみると、父が自分に厳しく課していたことは結局、父にとって嫌いじゃないこと、するのが苦にならないことだけだった。
退職した後、高齢になっても、万歩計をつけて毎日一万歩歩くんだと日々アピールしていた。父はあちこち歩き回るのがほとんど唯一の趣味と言ってよかった。だから一万歩というのは自分自身も他人も納得させ、華やかにアピールするための数値目標で、それを達成して得るものは、自尊心をくすぐられて気持ちがいいという感覚だけだったはず。

健康維持のために自分に課すノルマだと言っても、それがもし筋トレだとか、ヨガだとか、別のやり方だったら見向きもせず、やりなさいと誰かから強要されたとしても3日と続かなかったと思う。それは父の好きなことではなく、得意なことでもなく、むしろ苦手なことだから。そしてもっともらしい理由をつけて、筋トレやヨガがいかに役に立たないかを周りの人間に納得させようとし、いかにウォーキングが効果的かを刷り込もうとするだろう。

自分の苦にならないことを歯を食いしばって頑張っているように見せかけていた。それは多分周囲の人にそう思われたいというよりも、自分で自分を騙したいから、自分は素晴らしいと盲目的に思い込みたいから、していたことなんだろう。
裏を返せば、自信がなくて、自分を肯定できなくて、どうしようもなく不安だという思いを心のなかに閉じ込めて蓋をしていたということだ。それに自分で気づいてすらいなかった。仕組みに気づいてしまったらおしまいだから。

自分は苦にならないことだけをしていても、娘の私に対しては、苦しくてもどんなに嫌でも我慢して頑張ることを半ば強要した。嫌なことだからこそ、つらいことだからこそ、それを乗り越えるのが美徳だと繰り返し吹き込んだ。
楽しいこと、楽なこと、苦にならないことをするのは正しいことではない、それは自堕落でしかないのだと。
私は言われたとおりに頑張ったりできなかったし、そうしようともしなかった。ひたすら逃げることだけ考えた。けれどそこには、どれほど振りほどこうとしても振りほどけない影のような罪悪感が伴った。どんなに逃げてもどこまでも追いかけてきて、のしかかって首を絞めてくる影。

父の自己肯定のために、私は自己否定する必要があった。トレードオフ。
私の自己否定が父のために役立っていたのなら、父に何かを与え、父の代わりに苦しんでいたことになるのなら、それはそれで良かったのかもしれないと今なら思える。これも一種の親孝行か。

父は亡くなる直前まで、誰かを否定することで自分を肯定しようとしていた。ケアマネージャーの男性に良くしてもらっていたのに、その男性が場を離れたときに私達家族にアピールしてきた。俺はあのケアマネジャーなんかよりもずっと高尚な人間だと、仕草で訴えてきた。自分は高レベル、彼は低レベル。その時の父の仕草が忘れられない。ぞっとするような嫌悪感と、なんとも言えない哀れさが同時に溢れて、胸が苦しくなる。