SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

その代わり

まだ小学校に上る前の幼かった頃、近所の友だちと一緒に遊んでいて、何をして遊ぶかで意見が一致しなくなることがあると、隣のAちゃんがよく「その遊びもするけど、その代わり私のしたい遊びもしよう」と提案してきた。交換条件で取引してくる。これが私は大嫌いだった。
「その代わり」という切り札を出されると受け入れざるを得ないし、そんな条件を受け入れることで途端に興醒めし、自分のしたい遊びなんてどうでも良くなってしまう。そうしていつも結局その子の言うとおりのやり方で進めることになった。「その代わり」はとてもずるいワードなのだと感じるようになった。

その子の親が、言うことを聞かせるために「その代わり」を多用していたのかもしれない。お菓子をあげるからその代わりお片付けしようね、とか。これは立派な取引で、相手を意のままに動かしたい時の手管のようなもの。どこか純粋さの失われた濁った色に感じられ、ただ怯むしかなかった。

そうやって相手を操作しようとする、コントロールしようとすることに本能的な警戒感を覚えていた。私の世界にはまだそのような狡猾さは存在しなかったから。間抜けなほど正直な馬鹿だった。
そういう意味では、今でも間抜けな馬鹿のままでいたい。そのままで生きていければどんなにいいかと思う。邪念のない美しい世界をせめて自分の内側にだけでも創り上げて、いつでもそのなかに逃げ込めるということで安心したい。

だからこそ、その世界を守るために外側と戦い、戦うために狡猾さが必要となる。私も存分にずるい人間として存在している。「その代わり」に。
完全に「その代わり」が存在しない世界に生きられたらいいのに。