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未来の記憶

幼い頃に、母の職場に連れられて行ったことがあった。母は中学の教師だったので、あれは休みの日の夕方だったと記憶しているのだけれど、ガランとした人の少ない校舎の中で中学生の女の子たちが数人寄ってきて、五歳くらいの私を見て可愛いー!と騒いでいたのをぼんやりと覚えている。季節は冬、校舎の窓からオレンジがかった陽光が差し込み、押し黙った薄闇を斜めに切り取っていた。

母の中学の裏手には、やがて私が通うことになる高校があり、母の車に乗って高校のテニスコートのすぐ横を通る。乾いた空気に砂埃が舞って、どことなく黄ぐすみした光景だった。そこを左に曲がると母の中学、右手が私の通った高校。その道を通るのは初めてだったはずなのに、不快とも嫌悪とも表現し難いなんとも言えない嫌な気分がした。まだ感情を名付けられるような年齢ではなかったからかもしれないけれど、生まれてはじめてなのに、ずっと以前から知っているような拒絶の感覚。

その不快感は、西日に彩られて、セピア色の写真のように心に刻まれている。幼心に、なぜあの時あんな気分になったのか、後々まで不思議だった。たしかにあの時、車の中で母は「ここがあなたの将来通うことになる高校だよ」と言った。学業一辺倒だった父の薫陶を受けて、母もいわゆる偏差値の高い学校へと進学させることが正義だと信じて疑っていなかった頃だった。県下で随一の偏差値を誇るその高校に、あなたも通うことになるはずだと母は言ったのだった。その言葉と、直感的に感じられた拒絶の感覚があまりにも対極にあり、目眩に似た混乱の感覚を覚えたような記憶も薄っすらと残っている。

そして十年ほど後、実際に私はその高校に入学した。中学の担任の先生は、私のおとなしくのんびりした性格を考えてか、競争の激しい進学校よりも敢えて少しレベルを落とした女子校などでも良いのではないか?という話を三者面談のときにしていたけれど、母は全く聞く耳を持たず受け流した。私自身、母の言葉が催眠術のように刷り込まれていて、あの高校に進学しなければいけないものと思い込み、他の選択肢を考えたことすら一度もなかった。

ただ一度疑問を感じたのは、入試のために初めてその高校の校舎に入った時、トイレや水道周りが掃除が行き届いておらず、かなりの悪臭を放っていたこと。こんな校舎に毎日通うのは嫌だなと他人事のように考えたのを覚えている。後にわかったことは、教師も何の指導もしないし、一応当番制になっているもののまともに掃除をする生徒はほぼいないということ。そんな時間があったら勉強なり部活なり自分のしたいことをする、そういう人たちの集まりだった。

そして担任の先生が危惧した通りかどうかは知らないけれど、入学後その進学校の校風に全く適応できなかった。仲の良い友人がほんの2、3人だけは出来たので、なんとかそれだけを支えに通ってはいたものの、毎朝起きるのが苦痛で、どうしても起きられずに休んでしまう日もよくあった。今考えるとかなり抑鬱的だった。

その抑鬱的な気分こそが、幼い日に西日の中に感じた、言語化出来ない不快な気分そのものだった。そのことにずっと後になって思い至った。あれはまさに未来の記憶だったのではないかと。
理由のない直感や気分というのは時空を超えたアラームなのだと、そういう事が本当に起こるのだと悟るのに充分過ぎる体験だった。
冬の暮れなずむ時刻、落ちかかる西日の色を見て、今でも時折幼いあの日の記憶が疼くことがある。