SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

アナログという贅沢

紙を切って封筒を作り、書類に手書きで書き込んで印鑑を押して、糊で封をして、切手を貼る。そんな作業が久しぶりで、なんだかとても楽しかった。
そんな事務的作業は非効率で前時代的だと嫌われる。会社組織で莫大な事務仕事があるなら、まあそれもわからないわけじゃない。でも必要のないことまでDXを是とする価値観が蔓延してない?

紙の手触り、鋏で切るときのジョキジョキという音、糊のほのかな匂い。ゆっくりと時間が流れ、一瞬ごとを噛み砕いて舌の上に味わうようにして、徐ろに飲み込む。そんなふうに、日常を愛でるように、優しく撫でるように過ごすことに、かつては多くの時間を費やしていた。それしかなかったからだけれど、そこには愛おしいほどの豊かさがあった。
こうしてパソコンで文章を書くことを今更一切やめて、すべて紙に手書きしなくちゃ!というわけじゃない。片側だけをもてはやし過ぎて、それぞれの持つ価値を理解せず、過剰に傾くことを良いことだと思わないだけ。

忙しくしていることが正義のように、手持ち無沙汰な時間が罪のようにせわしなく動き、思考していると、私は窒息する。多くの人がそんなふうにして生きていられることが不思議に感じる。いつもぼーっとしているけれど、時間を溢れこぼし続けているようだけれど、そうせずにはいられない。

非効率であることをとことん避けていくのだったら、世界中全て人間じゃなくAIになればいい。人間がいないのが一番効率的。人間がいなくなるのが一番の環境保護になるのと一緒か。
無駄と矛盾でできている人間という生き物。
身体性を失って、余裕を失って、人間らしさを薄められて、効率的になったようでいながら、なぜかどんどん時間は失われていく。もっと早く、もっと無駄をなくして、そうやってセコセコと走り続けていく。回し車を回っているハムスターみたいに1ミリも進んでいない。こんなに走っているのに、こんなに疲れているのに。いったい何と戦っているのだろう。

すごく無駄な作業、スマートフォンを持っていたらしなくても良かった、封筒に手書きの書類を入れて切手を貼って、ポストへ投函するという作業。例えばそのような無駄な作業を敢えて選ぶということが、逆に価値あることになって行くんじゃないか。
無駄な作業をしなくてもいいのは素晴らしい!ではなく、無駄な作業にかまけていられるほど余裕があり、身体性をじっくり味わう時間があるということこそが凄いこと、価値あることで、贅沢の極みだ!というふうに逆の価値観が形成されていくかもしれない。そうなったら素晴らしいと思う。