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愛の痛み

不倫に走った有名人など袋叩きにしたがる人達は、自分の配偶者や彼氏彼女が浮気をしたら激高するんだろうと思う。無条件で、浮気するほうが悪い、たぶらかした相手が悪い、だから自分は怒り狂う権利がある。

本当に相手が大切な存在なのだったら、怒るより前に心が傷つき痛むはず。プライドが傷つけられたというのとは違う、愛が傷ついたことに対する深い悲しみがあるはず。なぜそうなってしまったのか、自分には何が足りなかったか、相手の心の何が見えていなかったんだろうか、まず内省すると思う。そこには怒りが存在する余地はないんじゃないかと感じる。

怒りを感じるのなら、相手を愛してはいない。契約不履行に対して怒っているだけで、当然の権利を行使していると考えているのだから。それはそれで夫婦やカップルの一つの形で、別に悪くはないけれど。愛だけで結ばれているのではなく、生活やら経済事情やら、生きることにまつわる諸事情もあるから。でもそれを愛と混同して勘違いしたくはない。

怒り狂える人は、悪いのは相手側なんだから少しも苦しくはない。プライドが傷ついて不愉快だという程度。それは愛の痛みとは全く別のもの。その程度で良かったねという感じ。
どうせ感じるなら、本物の愛の痛みのほうが、人生を彩る本物の価値となる。深く割れた大地の底を覗き込むような体験で、それは魂の傷痕であり、魂の勲章のようなものでもある。そのような経験は誰でもできるものではなく、それに耐えることのできる魂にしか与えられない、現代では極めて希少価値の高い体験なのかもしれないな。そのような体験を味わい尽くしてみたいとも、羨ましいとも容易く言えないけれど。