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変な声

自分の声がスピーカーから聞こえてきて、それが自分で認識している自分の声と全く違う声で、しかも外国人のような訛りがあって愕然とする──という夢を見た。

幼い頃、録音された声を聞いて、自分のじゃないみたい、変な声、とは思った。でもそれだけだった。中学生くらいの時やはり録音された声を聞いて、くぐもったような嫌な声であまりにもショックを受けて、こんな声を人に聞かせているなら喋らないほうがいい、なんてみっともないんだと頭を抱えた。そこからほとんど成長してこなかったみたいだ。

自分で思っている自分と、人が見ている自分にものすごく乖離があり、自分で思っているのは単なる勘違い、都合の良い自分贔屓で、実際はとんでもなくひどいのではないかという恐れ。現実を見ずに自分の中だけで自分を高く評価して夢想している愚か者。結局ずっと怯え続けてきたのはそれただひとつ。それが様々なバリエーションを見せていただけで。

自分を納得させられた部分と、まだ不安で怯え続けている部分とがある。単に人の目が気になるということではなく、自分の認識に対する疑念なので、他の人はみんなじゃがいもだと思えばいい!というようなよくある話じゃなかった。じゃがいもだと思って緊張しなくなったとしても、自分の主観と外側の客観とがどれだけ離れていてどれほど異なっているかは掴めないままだから。

それはどこまで行っても分からないまま。客観なんて幻だと頭では分かっているのに、力を与え続けただけ。
私は他人の目を気にしてきたのではなく、自分の目を気にしてきたんだ。客観という幻を信じて、自分の中に作り上げた「目」に怯えていたんだ。その基準に合致しないと「愛されない」と信じてきたんだ。外に出る度に数百数千の目に射られるような感覚。そりゃ怖くもなるよ。

自分の声が美声だと思っても濁声だと思っても、どちらでもまったく同じなんだ。それを愛して価値を認めてあげられるなら。
他の人のことであれば、その特徴的な変な声こそがあなたの魅力なんだから!と思えるのに、なんで自分自身のことは素直にそうならないんだろう? 内側にいないで、宇宙からの視点で自分を見下ろす。それが自分自身が神であるということ。