今朝ゴミ出しに行き、しゃがみ込んでゴミ袋に青いネットを掛けるのに必死になっていると、すぐ傍にチワワみたいなすごく小さなワンちゃんがいた。おっ、と思わず声が出てしまう。まるで気配がなくて、猫みたい。寄ってきたのにまったく気づかなかった。可愛いネイビーのお洋服を着て、チョコレート色の短い毛に包まれた小さな身体を寒さから守ってもらっている。ワンちゃんは私に興味があったのかゴミ袋の山に興味があったのかわからないけれど、知らない犬がこれほど至近距離に寄ってくるなんて滅多にないこと。パーソナルスペースにごく自然に侵入されるなんて、人間も含めどんな存在が相手でも滅多にないこと。
ゴミ袋の山の周辺をしばらくクンクンしたあと、飼い主さんに呼ばれ、ちょっと長めのリードを引かれて離れていった。可愛い!と呟いたものの、そのまま飼い主さんとの会話はないまま終わった。犬種は何か、名前は何というのかくらい尋ねれば良かったと後になって思った。すれ違う人に自然に話しかけるのはいつまで経っても難しい。そのとき話しかけようとしたとしても出来ず仕舞いだったかもしれない。
この出来事が妙に気になって、朝食時に母に話していると、今日が亡くなったネルの誕生日であることに気づいた。それまですっかり忘れていた。
ネルは自分の誕生日を忘れられていることが淋しくなって、他のワンちゃんの意識に働きかけて、私の傍に寄ってこさせたのかも知れない──なんて考えてしまう。犬たちの集合意識みたいなものがぼんやりと何処かの次元に存在していて、強い念があるとそこからすべての犬に意識が繋がる。そんなことは証明のしようもないし、証明が必要とも思わない。けれどなんとはなしにそれを信じている。ただの思い込みだと常識的な脳は嘲笑うけど、それを信じたって失うものはない。信じたほうがより感謝の思いを深くすることが出来るなら、得るものが多い。
動物の種ごと、あるいは他の何らかの集合体の全体意識みたいなものがあって、命はみな網の目のように繋がっているような気がする。植物には植物の意識があり、惑星には惑星の、銀河には銀河の意識が。そのなかで、なにかの終わりと始まりが連なり、季節や風が溶け合い、世界を、宇宙を分かち合う。
ネルちゃんごめんね。生きていたら、29歳の誕生日だね。出逢ってくれてありがとう。マミーの子になってくれてありがとう。
ペットショップで初めて抱っこした時、ネルはぶるぶると小さな体を震わせて、細い毛の一本一本までこまかく震えていたのをよく憶えているよ。最後に、私の手をぺろっと舐めてくれたね。ネルの方が私を気に入ってくれて、この人のうちに行く!と決めたんだよね。
お別れして12年になるけれど、マミーはまだまだどうしようもない未熟者です。ネルがお空から見て、マミーを導いてください。向こうでシルくんと仲良くしててね。マミーがそちらに行くまで待っててね。そちらでは時間なんてあっという間でしょ?
お別れした日の夜更け、これからはマミーの身体に一緒に入って、マミーと一緒にマミーの人生を生きるよと、テレパシーみたいに伝えてきてくれたこと、いまも信じているよ。ネルちゃんの魂の半分は、いまこのときも溶け合って一緒にいてくれてるんだよね。自分を大切にしないといけないね。それはネルちゃんを大切にすることでもあるのだから。