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夢遊病シェルター

私が一人で歩いている様子を見た友達に、夢遊病のようだとよく言われた。ぼんやりとして心ここに在らずといった風に見えるそう。確かに、一人の時は外界との接続スイッチを切っているかもしれない。スイッチを切ると、他の人は世界にいないと同然になり、外界への配慮が要らなくなり、心から寛げる。その状態に時折入っていかないと窒息してしまう感覚があった。

一度そのゾーンに入ると、心地良くて出てくるのが面倒になる。歩くことは単純な運動の繰り返しで、一種の瞑想状態のようになる。瞑想なんて言葉を知らない頃から、自然とその領域に近づいていたのかも。

時々、知っている人と出くわすことがあっても、気づかないふりをして通り過ぎることもあった。そのような状態の時に意識を通常に戻すのがしんどいのもあり、それほど親しくない人と挨拶を交わし、話さなければいけないのも苦痛だったから、狡いことは解っていても知らん振りをした。
けれどそのことが根深い罪悪感を生みもした。人間として必要不可欠な条件に欠くような気がした。存在そのものが罪のような気がした。

今でもそれはあまり変わっていない。ごく僅かな気の置けない人を除いたら、気づかないふりをして通り過ぎることがあるかもしれない。
ごく僅かな気の置けない人を失ったら、どうなるだろう。すれ違う見ず知らずの人と、些細なやりとりをすることが、何より貴重な瞬間に感じるようになるかもしれない。人との繋がりを失ったら、心は完全に乾涸びてしまうのかもしれない。それなのに、私は自分のシェルターに篭りたいという思いを今日も捨てられない。