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隕石の堆積場

羨ましがられる条件

近くに住んでいるけれど疎遠になって久しい幼馴染が、私のことを「羨ましい」と語っていたと、人伝に聞いた。私が働きもせず、家にいて悠々自適の生活をしているから、みたい。
すごく単純なことなのに、不意に盲点を突かれたような衝撃を感じた。

気力体力ともに充実して、毎日バリバリ働いて、社会に貢献できるということのほうが羨ましがられる条件として真っ当だと、未だに信じ切っていたということに気づいた。

私から見れば、彼女のほうが羨ましい。羨ましいと思われるにふさわしいと思っていたんだ。
社会参加できていない、何者でもない肩書のない自分。親の築いた財産で食わせてもらっている自分。それを恥ずかしく思い、他人を羨むのが真っ当なあり方。だけど、するべきことができないんだからしょうがないよね、叱りつけないで味方になり、慰めてやらないとね。それが自分を受け入れるということだった。今まで。
そんな私を羨ましいと思う人がいるなんて。単純に、青天の霹靂みたいな驚き。

一方で、毎日身を粉にして働き、自分の時間もなく、忙しく魂を削って生活している「社会人」たちが、私のような人間を逆に羨ましいと思ってしまう現代社会は、確かに狂っているのだと実感もした。
うつ病になって休むことのできる同僚を羨ましく思う、なんて話も耳にしたことがある。

この社会の教育からして、辛くても歯を食いしばり、上の者の言うとおりに動き、自分を殺して歯車となることに長けた人間を大量生産するシステムでしかない。そうやって生きないと、社会から抹殺されるという暗黙の脅迫。
はみ出すと、上の者に叱られるのならまだしも、同じ境遇の仲間たちに叩かれるということには、矛盾以外の何物も感じない。

実は、羨ましいから嫉妬して、貶して否定していたんだ。

私は人に羨ましく思われる存在なのだ、人がしたくてもなかなかできない素晴らしい生活をしているのだと、肝に銘じよう。

 

© 2019 Hibiki Suzuka