SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

言霊

言霊が大切とよく言われている。「疲れた」とばかり口にしていると余計に精神疲労を感じるようになると聞いたので、できるだけ疲れたと言わないようにしてみた。
あっ、また言っちゃった。どれだけ疲れたと言っていたか気づくとともに、言わないようにしなくちゃいけないのに!とだんだん苛ついてきた。結局、言わないようにするために余計心が乱れ、余計疲れる羽目になった。

綺麗な言葉を使うことがそんなに大切なんだろうか。そりゃ、いつも心の中が汚い言葉で一杯よりはいいだろうけど、毒舌で愛されるキャラクターもいるし、いつも表層的に教科書的なことばかり言っている人をあまり好きになれないし。
心の底から、本音で綺麗な言葉を発することができれば一番いい。でもできないなら仕方ない。無理して変えようとしても意味がない。

引き寄せの法則とか、ポジティブ思考とかのスピリチュアル論が溢れていて、私もそれらに接して心が癒やされたと感じた頃もあった。でもはじめだけだった気がする。
何を引き寄せたいのかと考えたら、誰もが幸せになりたい、よりよい人生を送りたい、より多くが欲しい、といった願いばかりだろう。不幸になりたい人がいるわけがない。
私もこうなりたい、ああなりたいと考えたこともあった。新月のお願いリストなんてのを書いたこともあった。それが叶ったかどうか。あとになって考えると、叶ったことは、叶っても叶わなくてもどうでもいいようなことばかりだった。

なんか、全てどうでも良くなった。というか、何も望むことが無くなった。今のままで別に構わない。生活に最低限必要なものを除けば、特別欲しい物もないし、したいことも、行きたい場所も特に何もない。
昔だったら、そんなんじゃダメだ、もっと色々望んで、より良くなるように意識を変えていかないと、せっかくの一度きりの人生を輝かせることができないよ!という考え方をしたと思う。望んだことは現実にできる。望んだものしか現実にできない、と。
疲れ果ててしまって、なんで良くならなきゃいけないんだろうと思った。良くならなくたって、今のままでどれだけ幸せだろうか、って。

もっと幸せになりたいのも、もっと欲しいと思うのも、所詮エゴでしょ。エゴを満たして、それで本当に幸せになるの?
必要なものは与えられていると知ることができれば、何も求める必要がない。これからも必要なものは与えられると信じられるから。