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宇宙人が見たW杯

宇宙人がもし地球に偵察に来ていたら、ボールを蹴っ飛ばして四角いゴールに入れて点を競い合うという遊びに世界中が熱狂し、巨額のお金が動くなんて、不思議で仕方ないんじゃないか。
ミサイルが飛び交うような現代に、槍やハンマーをどれだけ遠くに投げるか競い合うなんて、スポーツって考えてみると変なものだ。
スター選手が桁外れの年俸をもらっていて、それでいて高齢者の介護のような、必要不可欠で大切なエッセンシャルワークに最低レベルの賃金しか支払われないなんて、やっぱりおかしな星だと思われるだろう。

ワールドカップやオリンピックは見る分には楽しめるけど、国対国の、擬似戦争のような側面もあると思う。スポーツで国を背負って戦って、負けると国民の皆さんの期待に答えられず申し訳ないと選手が謝罪するというのは、私にはいつも理解できないことだ。国の威信をなぜ選手個人が背負わなければならないのか、よく解らない。

人間はなぜそんなに戦いたがるのだろう。国対国の戦争がもはや地球規模の破壊に結びつく現代、サッカーなどのスポーツでガス抜きをさせているような側面が確かにある気がして怖い。日本を応援しないと非国民みたいな空気が醸成されるのは、とても恐ろしいこと。サッカーを観戦しているのではなく、日本が他の国に勝つかどうかを観戦しているのだから。

日本代表を応援したい気持ちはわかるし、試合を見るのも面白いし、勝ってくれたら嬉しいという感情も解るけど、自分がなにかの試合で戦うとなったら、勝ちたいという気持ちを持ち続けられないと思う。勝ちたい気持ちにずっと真っ直ぐでいられるということがよく理解できない。

勝っても負けても、結果より過程が大事なんだ、諦めない気持ちが大事なんだ、自分の弱さと戦って超えていくことなんだ、というような精神論。私自身の欠点を突かれているようで、何となくもやもやするけれど、それだって勝ちたいという気持ちがないと始まらないことじゃないか。なぜそうまでして勝ちたいんだろう。

そうすると、勝負から逃げているとか、負けるのが怖いから本気を出さないんだろうとか、いろいろなお叱りの声が幻聴として聞こえてくる。
勝つくらいなら、負けるほうが楽なんだ。なぜ画一的に勝つことが良いことなの?
屁理屈を並べている前に体を動かせ!というステレオタイプな叱咤がまた聞こえてくる。スポーツとはやっぱり相性が悪い。
誰にも勝たないこと、同時に負けないこと。それではいけないのでしょうか?